このページは、溝上の学術的な論考サイトです。考えとサイトポリシーをご了解の上お読みください。 溝上慎一のホームページ
-「現場の理論」を構築して個性ある教育実践を示すこと! v2
昨年末(2016年12月21日)に『幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善及び必要な方策等について(答申)』(以下、答申)が出された。アクティブラーニングに関していえば、「主体的・対話的で深い学び」というアクティブ・ラーニングの視点ということでまとめられた(「(理論)初等中等教育における主体的・対話的で深い学び-アクティブ・ラーニングの視点」を参照)。
主として高大接続に焦点を当てているとはいえ、幼稚園、小学校等まで広範囲にカバーする学習指導要領改訂に向けての方策を、共通する用語で、共通する論理で、しかも過去の関連施策もふまえて打ち立てるというのは相当の難作業である。自分がこの作業の中心に関わっていたらと想像しただけで、正直ぞっとする。細かく気になるところはあるにせよ、私は今回の答申は比較的よくまとめられていると思っている。関係者のご苦労に敬意を表したい。
施策は、国全体の学校教育の取り組みや方向性を示すガイドラインである。高校1つとっても、公立・私立の違いは大きいし、普通科・専門学科・総合学科などの学科の違いは相当なものである。都市部にある学校と地方にある学校の同じ学科を比べても、学校が担う役割や生徒の様子、社会・世界への見方・関わり方はかなり異なっている。そのような差異を前提としつつも、それらに共通する点を取り出し一般化し(この一般化の作業が「概念化」と呼ばれる)、国全体の教育の取り組みや方向性を1つの文書で示すのが施策である。個々の学校から見てピンとくる、こない点が出てくるのは、この「概念化」における一般化の作業ゆえである。施策文書とはそういうものである。
学者の学術的作業も同じである。概念化する作業プロセスにおいて、捨象せざるを得ない、すなわちそぎ落とされる個別事象固有の特徴や文脈は山ほどある。たとえば、アクティブラーニング論(「(理論)大学教育におけるアクティブラーニングとは」「(理論)アクティブラーニング論の背景 」を参照)では、スタートの作業は、個々の学習や授業実践を見てそれらに共通する点を拾い上げることであった。先に述べた一般化、ひいては概念化の作業である。概念化された用語「アクティブラーニング」を、協同学習やジグソー法、PBLといった他の学習概念と、さらには教授学習パラダイムやトランジションといった他の概念と関連づけると「アクティブラーニング論」という理論ができあがる。概念と他の事象・概念とを、ある理屈に従って繋ぎ、体系化する作業が、「理論化」と呼ばれるものである。このような共通するものを拾い上げるプロセスで、個別事象固有の特徴や文脈がそぎ落とされることは容易に想像がつくだろう。
だから、概念や理論がいったん仕上がったら、あるいは答申として提示されたら、今度はそれを個別事象(教育現場での実践)に適用して、概念や理論が個別事象を、あるいは新たに創り出された個別事象をどの程度うまく説明するかを吟味しなければならない。概念や理論が個別事象をうまく説明するに耐えうるものかを吟味しなければならない。その結果によっては、概念や理論の微修正や大幅な改訂を伴うこともあろう。アクティブラーニング論は、このような作業が何百と重ねられ洗練されてきたものである。2015年8月の『論点整理』で、「課題の発見・解決に向けた主体的・協働的な学び」と説明されたアクティブ・ラーニングが、1年後の『審議のまとめ』(2016年8月)では「アクティブ・ラーニングの視点-主体的・対話的で深い学び」と修正された。「深い学び」をアクティブ・ラーニングの視点の一つとして加えないと、教育現場が危うくなると危惧されての修正であった(「(理論)初等中等教育における主体的・対話的で深い学び-アクティブ・ラーニングの視点」を参照)。このことも、概念・理論が個別事象へと適用され、その結果を受けて概念・理論が修正される例の一つである。
私は、答申の説明や方向性は間違えていないと思う。私が文科省の関係者でも、本質的には同じ作業をしていたと思う。
その上で直近の問題は、教育現場がこの相当に抽象度が高く体系的な施策内容をどれだけ自分の頭で理解し、それに基づいた教育実践を創り出していけるかである。2030年社会という将来を見据え、知識基盤社会、社会の情報化・グローバル化といったこれまでの社会の変化をふまえつつ、新たな人工知能の問題も組み込んで広範な社会の変化をとらえ、その上で学校教育の社会的機能を見直す方策を打ち出している。教育現場の多くの教員がこれをあっさり理解して実践に取り組んでいけるとはとうてい思えない。だからといって、新聞記事や雑誌で政府の施策をたたくマスコミや学者の浅薄な批判的コメントが正しいとも思わない。1つ1つ返答の機会が与えられるならば、瞬殺していきたいくらいの気分である。
このような現実を見据えて私が提案したいのは、現場が理論を学び、それに基づいて教育実践を創り出し、理論と実践とを往還し、そうして公立・私立、普通科・専門学科・総合学科などの学科、都市部・地方といったローカルな文脈をふまえた「現場の理論(grounded theory)」を構築することである。文科省の施策文書や学術的な論は、ローカルな文脈を捨象して一般化された「理論(theory)」(「(用語集)概念・理論とは」を参照)である。それに対して、ローカルな文脈をもつ個別の教育現場の理論は「グラウンディッドセオリー(grounded theory)」である。
個別の学校、県や市の教育委員会・教育センター等が、施策文書や答申を受けて推進施策としてまとめる文書を見ると、文科省の用語をふまえながらも、最後はローカルな文脈に響く独自の用語(たとえば「新たな学び」「学びの変革」「参加型学習」「探究型授業」「自律的な学習者」「主体的な学習者」など)に置き直していることが多いことに気づく。これはまさに「現場の理論」の構築を指す。私はそれでいいと思う。現場が一人ひとりの生徒を育てる主役である。個性豊かな実践が現場の理論のもと、教育現場から示されることを切に願う。いま、答申を受けての教育現場からの実践的応答が求められている。